今日のブログは長くなりそうな予感がする。
語りたいことがたくさんあって、内容が濃いからだ。
こういうときは得てして、
Shiozyは何が言いたいの? というような文章になってしまう。
冷静にれいせいにと、自戒しながら書いていくことにしよう。
ブログというものは不思議なメディアである。
私が何気に書いた文章がある人の目に留まり、
そのある人から巡りめぐってこれまで一度も面識のない人に伝わる。
面識がないどころか、おそらく一生交わることがない人に伝わった結果、
その人の「死」に直面するというようなことが起こってしまうのである。
不思議なメディアである。
ちょうど一年前の出来事である。
名古屋で一人の青年が交通事故であっけなく天国へ逝った。
三重大学4年生22歳、大森俊輔という。
名古屋、三重、22歳、大学生、
どの要素を取り出しても、私の人生と交差する点など一つもないのだが、
ここにブログが介在することによって、私と彼との交差が生まれたのだ。
当時私は、山口ブログで知り合った和菓子屋さん、
三松堂@津和野の記事をよく書いていた。
秀子が甘いものがめっぽう好きだったからだ。
私のその記事を、学生運動時代からの同志であり、
いまは三重大学の考古学教授である山中が読んでいた。
大森俊輔は考古学教室の学生だった。
あるとき、ふとした立ち話で、山中が大森に聞いた。
「卒業後の進路はどうするんだ?」
山中としては、専攻の考古学の世界に進みたい、という答えを期待していたはずだ。
ところが返ってきた返事は、
「菓子職人になりたい」だった。
考古学と菓子職人。
イメージの乖離に、山中はついていけなかったに違いない。
心の中では怒っていたかもしれない。
戸惑いと怒りの感情を抑えて、山中はこうアドバイスした。
島根の津和野にいい和菓子屋さんがあるぞ。
面白いお菓子を一杯作っているんや。
もっと面白いのはそこの社長さん。
ホームページを見るととてもユニークなんや。
一回覗いてみいひんか?
数日後、大森は津和野まで面接に行くことに決めたという。
面接の模様を、三松堂の若き社長小林がこう書いている。
和菓子職人として当店に就職したい、という連絡をいただいたとき、
正直なところ、「ま、冷やかし半分だろ」と、思っていました。
(中略)
津和野は田舎で夜は真っ暗になるくらい店が閉まって何もないことなど、
本当に就職させる気があるのか、と自分でも考えてしまいますが、
そういう事を説明したと思います。
(中略)
そして最後にこう言ったんです。
「まあ、実際に卒業するまでにはまだ時間があるから、
その時になって気が変わってなかったら連絡くださいよ」
そういって席を立とうと、椅子の肘かけに手をついた瞬間、
私を席に押し戻すように、大森さんが身を乗り出してきました。
ちょっとびっくりして何事かとおもったとき、
大森さんは本当に真剣な眼差しを私に向けて、力強くこう言ったんです。
「それで内定はいただけるのですか?」
この瞬間になって、ようやく気がつきました。
ああ、この人は本気なんだ、と。
こうして、大森の卒業後の進路が決まった。
後日判明した話によると、大森のおじいさんは菓子職人だったとのこと。
彼はおじいさんの血を受け継いでいたのだった。
就職が内定して数ヵ月後の交通事故。
ご両親の嘆きは察して余りある。
山中をはじめ大学関係者の悔しさも痛いほど分かる。
そんなみんなの想いを込めて
「大森俊輔追悼文集」が上梓された。
追悼文集の末尾に、こんないい話が載っている。
卒業式を迎えられなかった大森のために、
三重大学は「就学の証」を贈ったという。
「本学はあなたを忘れずあなたとともに生きた証としてここに就学の証を贈ります」【画像:289172.jpg】
まだまだ書き足らない。。。
明日は大森君の文章を紹介したいと思う。
これがいい文章なんだなあ。
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