ああ、長生きするもんじゃないね。
私は何歳になるのだろう? 自分の歳もわからなくなってしまった。
たしか、昭和天皇がご即位された年に生まれたと親から聞いた。
今は「平成」というらしいから、ずっと昔の話だねえ。
結婚したのはいつだったかしら?
広島にピカドンが落ちて、敗戦になって、それからすぐだったような。
あの当時、戦争から生き残って帰ってきた男どもが、
我も我もと結婚を焦ったのだったわ。
町内の世話好きが、ぜひにと縁談話を持ってきたときは、
私はやっとハタチになったばかりだった。
敗戦で食べていくのがやっとのとき、親は私を早く片付けたかったのだろう。
私の気持ちなどお構いなしで縁談話が進んで、今の夫、、、、
名前はなんだっけかな?
じいさんじゃなくって、えーっと、そう「すなお」だ。
夫の素直とあれよあれよという間に結婚してしまったのだった。
この町にも進駐軍が駐留して、急に英語がもてはやされた。
6月に結婚したら「ジューンブライド」なんて呼ばれて、
めでたいめでたいって言って周りは喜んだけれど、
私にとってはめでたくともなんともなかった。
バラックの食堂で、モンペ姿の結婚式だったものねえ。
まあ、言ってみれば、口減らしの結婚みたいなものだった。
夫は素直なんていう名前に、正直名前負けしてた。
頑固で無口でぶっきらぼうで愛想のひとつも言えない偏屈屋。
所帯を持ったとたん、私のことを「おい」としか呼ばなくなった。
エツコという名前は、ただの一度も呼んでくれなかった。
この時代の男の常とはいえ、亭主関白そのものだった。
まあ、取り柄といえば、コツコツ仕事を勤め上げてくれたことぐらいだ。
結婚して二人の子供を授かった。上が男で下が女。
うまく産み分けたと、誉めてくれるのかと思いきや、
長女のときは「女か」と、夫はため息をついた。
長男は他県に出て行ったまま、そこで家庭を築き、めったに帰ってこない。
長女も他県に嫁いだが、あれでも時々は様子を見に帰ってくれる。
「女ふたりにしとけば良かった」
今になって思う後悔だ。
結婚以来、生活に追われて楽しいことが何もなかった人生だけど、
子供たちが巣立っていって、夫婦ふたりきりになったとき、
「これからは私の好きなようにさせてもらいます」と宣言したら、
肩の荷がふっと軽くなったのだった。
好きなことの手始めが、白い子犬を飼って一緒に散歩に行くことだったのは、
夫も拍子抜けだったみたいだ。
シロと散歩する小一時間は、私にとって至福の時だった。
私の言うことを聞いてくれ、口答えしないシロ。
そういえば、私のシロはどこに行ったのだろうか?
最近、シロの姿が見えない。探しにいかなくっちゃ。
私の手を握っているこのおにいちゃんはだれかしら?
孫の直樹でもなさそうだし。
向こうの方で、「よしおかさーん」と呼んでるけど、
どこのよしおかさんだろう?
「一緒にシロを探しましょう」と言ってるから、
たぶんいい人なんだろう。
人と手をつなぐのはいつ以来だろうか。
手の温もりはなかなかいいものだ。
ときどき、自分がわからなくなるから、
誰かにしっかりつかまえていてほしい。
心地いいし、安心だ。
「エツコさん」
おにいちゃんが私の名を呼んだ。
私は「はい」と答えた。
これも心地いい。
「私はエツコだ」と思えて、自分が在るように感じる。
おにいちゃんは何度もなんども「エツコさん」と呼んでくれる。
私も「はい」と返事を続ける。
とそのとき、
「ばあさんいいかげんにせい。このボケが」という夫の声が。
ばあさん?
ボケ?
私のことだろうか?
考えると頭が痛くなってくる。
キリキリと頭が締め付けられてきて、誰かに助けを求めたくなる。
「シロ、シロ。シロはどこにいるの? 私を助けに来て」
すると、シロが現れて、
「エツコさん」と名前を呼んでくれたのだった。
私は「はい」と元気良く答えた。
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コラボ言いだしっぺ、なほさんと柿さんはこちらね。
「山田さんち」のなほさん。「隣のカモミール」の柿さん。私もこのお題で書いたよ、という方はぜひトラックバックを打ってください。
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7月のコラボはあるのか?(笑)↓↓ランキング卒業しました。足跡記念にどうぞ。
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