昨日は、ヒゲつながりで、
大竹まこと、久米宏と混同されたShiozyです。
めがねをかけてヒゲを生やせば、似たもの同士に見えるものさ、
という客観的なご意見もいただく中、
本日は「ヒゲについて考える」である。
ヒゲの国際評価基準三点セットといえば、
くちひげ
あごひげ
ほおひげ
である。
この三点セットを標準装備すると、こうなる。
【画像:76429.jpg】
ご存知、カストロさんである。
本来、ヒゲを生やすならこれが正統@国際基準である。
し、しかし、Shiozyには悲しいかな、
あごひげ、ほおひげが生えないのである。
あごひげ、ほおひげが生えない悲しい物語。
長くなりそうだけれどお聞きください。
<ここから急にシリアスになる>
今から38年前。Shiozyハタチのとき。
年明け早々の東大安田講堂の攻防があり、
首都圏の学生運動家たちが根こそぎ逮捕された。
4月28日に予定された「沖縄奪還闘争」は、
首都圏の勢力が見込めず、必然的に、地方大学主体の結集となった。
地方大学の中で、一番大きな勢力が「広大部隊」だった。
何千人という人が結集した東京駅構内の、先頭部隊が広大だった。
2メートルの鉄パイプで武装した広大部隊は、
首相官邸突入を目指して
東京駅→有楽町駅→新橋駅と鉄路上を進撃した。
新橋から官邸を目指すという作戦は、機動隊の予測の裏をかいた。
新橋駅には一個小隊くらいの機動隊しかおらず、
簡単に突破できそうだった。
と、ところがこのとき、どこからともなく、
「駅構内にもどれ」という指示が飛んだ。
簡単に突破できるのに、なぜ引き返すのだ。
疑問に思いつつも、線路上に戻って、
東京駅目指して引き返したのだった。
有楽町の手前まで戻ったとき、
突然機動隊の大部隊が登場した。
反対側の新橋からも機動隊。
つまり、挟み撃ちにあってしまったのだ。
両方から、催涙銃の水平打ちをくらいながら、逃げ惑う学生たち。
しかし、袋のねずみだ。
勇敢な奴は、ビルの3階ほどもあろうかという高架から
ダイビングして逃げた奴もいたが、
私は新幹線側に追い詰められたため、
袋叩きにあいながら検挙された。
靴は脱げ、アノラックはびりびりにやぶれ、めがねが飛んだ。
こうして、生まれて初めての上京が終わったのだった。
本富士署、愛宕署とたらいまわしにされ、
結局、蒲田署に落ち着いた。
留置場の中では、正座をさせられる。
ど近眼の私には、めがねがない。
一日中、目を瞑って正座をするという毎日だった。
目を瞑ったまま一日を過ごすというのは、辛いものがある。
そこで、神経を集中させるのにとった手が、
「あごひげを抜く」という作業だったのだ。
来る日も来る日も、指先に神経を集中させ、
十本、百本と抜き続けた。
23日間の留置場暮らしで、あごひげだけでは足らず、
ほおひげも犠牲になった。
こうして、私のあごとほおにはひげが生えないという
悲しい事態が生まれたのだ。
辛い青春の挫折の傷あとである。
ふう、ひげが生えないというつまらぬ話に、
長いこと引っ張ってしまって、すまぬぞ。
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