『これがオヤジの生きる道』 NO50
連載50回
読者の励ましが原動力
(2007年5月27日付、中国新聞Dの頁掲載)
↓↓紙面はこんな雰囲気ね。
【画像:76229.jpg】
あのう、気づいていただけましたでしょうか。
こんなことを自分で言うのもなんですが、
言わないと、誰も気づいていただけないので、
言います。
本日、連載五十回目です(祝自分)。
昨年六月にスタートして、もうすぐ一年。
良く続いたなあ、というのが実感ですね。
書き始めた当初は、いつまで書き続けられるのか、
正直、自信がありませんでした。
連載十回を越えたあたりで、最大の危機がありました。
うつ状態に陥って、「どつぼ」にはまったのでした。
「幻の十三号エッセー」というのがあります。
原稿を書いてみたものの、
その時の「どつぼ」心理を反映した内容になってしまい、
直前で没原稿としました。
自分の「うつ」に気づいた瞬間でした。
気づかなかったら、
おそらくその時点で書けなくなっていたかもしれません。
この最大の危機を乗り越えて、
後は順風満帆、と言えればいいのですが、
実態は「匍匐(ほふく)前進の五十回」と言ったところでしょうか。
頭を低くして、はうようにして書き続けた五十本。
その原動力は「読者さん」にありました。
新聞の連載というのは、
意外と読者さんの反応がつかめないものです。
私の場合、許可をいただいて、新聞掲載翌日に、
エッセーを自分のブログへ再掲載してきました。
ここでは、反応が速攻で返ってきます。
ブログへ感想コメントをくださる方々は、
もともと好意的な方々なので、
「批評・批判」というのは少ない。
むしろ、お世辞に近いのかもしれませんが、
それでも、エッセーのどの部分に共感してくれたのかが分かって、
大変ありがたいわけです。
長続きできた要因の一つは、
「読者さんの反応を感じつつ書けた」こと。
これがあったからだと断言できます。
この原稿を書いているたった今、わが家に贈り物が届いた。
「毎日曜日のエッセーを楽しみに拝読しています。
私も老々介護の身、元気づけられております。
(妻の)秀子さんに幸いあれと、心を込めて折りました」
という手紙とともに、千羽鶴が届けられたのだ。
こういう読者さんからの励ましがあったればこそ、
長く続けてこられたのだなあ、
と今、感慨ひとしおです。
このプレゼントはもちろん秀子のためのものだが、
私的には「祝五十回」の記念品だと受け止めている。
ありがとうございました。
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【読者さんへのおわび…50回記念の読者プレゼント企画は、ありませぬ】
(ブログ「Shiozyの介護生活」運営者=廿日市市)
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