親友というのはおもしろいものである。
私には大学以来の友人がいる。単なる同級生ではない。
学生運動を共にした「同志的友人」である。
学生運動の挫折のあと、大学を中退しやがて事業を興した数少ない友人である。
言わば、この40年間似たような生き方をした同志である。
その彼が、周南市で発行している日刊新聞で、私の本を紹介してくれた。
おもしろいもので、彼が見たShiozy像と、Shiozy自身が思っている自分像とが
微妙に違うのだ。
ここにふたつの文章がある。
同じ時代を生きた二人の男の、
微妙に違うふたつの文章を読み比べてほしいと思う唯我独尊のShiozyなのだ。
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コラム『一言進言』 日刊新周南9月29日掲載
「妻のために生きる」好評発売中 〜友人の介護日誌が本に◎七年前のある夜、広島の友人から電話が鳴った。
「秀子が倒れた」。どうやら脳梗塞のようだという。
五日市の脳神経外科だと聞いて慌てて車を走らせた。
聞いた病院を探すのに手間取ったが、なんとかたどり着いた。
青ざめた顔をした友人がそこに呆然としていた。
大学時代以来の古い、知り尽くした友人だ。
命は大丈夫だと言うので、ひとまず徳山に帰った。
秀子というのはもちろん友人のカミさんだ。
それ以来、秀子さんは喋れない、歩けない状態からの脱出劇を延々と続けることになった。
◎友人は実は学生結婚の私にとって仲人役だった。
一足先に結婚していた友人夫婦が付き添って、京都のとある神社で結婚式を挙げたのだ。
その時のカミさんは秀子さんではなかった。
子どもがまだ小さいうちに別れてしまい、その後、連れ添ったのが秀子さんだった。
私たちも若かった。私が住んでいたアパートに机を持ち込んで
「今日からここが会社じゃ」と企画会社を立ち上げたのはまだ二十代後半だった。
荒れていた時代だった。
毎晩酒に酔い、街では肩を触れたと大ゲンカをして、血だらけで帰っていた。
そんな友人を秀子さんは泣きながら介抱していた。
気持ちの弱さを酒で紛らわしていた時代だった。
◎さんざん秀子さんにはつらい思いをさせていた友人だったが、
秀子さんが倒れて、彼の人生にも大変な変化が訪れた。
亭主関白の鑑のような友人が、秀子さんが「流動食を食べた」「アイウと喋れるようになった」と
介護の中で感動の日々を送るようになったのだ。
彼にとって秀子さんが倒れたのは「生き方の大転換」だった。
それまで仕事が出来るだけに唯我独尊的なところも多かったが、
周囲にも大きく目を向けるようになった。
何よりも驚くのが地域の活動にも積極的に関わるようになったことだ。
◎秀子さんとの介護生活をブログに書き込みを始めたのも、彼にとって「大転換」だった。
自分のことには口数少なかった彼が、
赤裸々に秀子さんとの生活を語り始めたのだから、周囲も驚いた。
そのブログが全国でも一位のアクセス数になり、
中国新聞からコラムで連載依頼が来るほどになった。
テレビでもドキュメンタリー番組が組まれた。
◎今度、そのブログの一部や、中国新聞に連載されたコラムなどをまとめた本が出版された。
「妻のために生きる」くさい題名だが、仕方ない。
作者は塩崎周司。文章は仕事柄うまいが、何より気持ちが伝わることは請け合える。
周南でも宮脇書店などで好評発売中なので、ぜひ読んでいただきたい。
オヤジもなかなかのものです。(中島 進)
【画像:190850.jpg】
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中島がShiozyのことをこう書いた。
さて、Shiozyは彼のことをどう書いたか。
『妻のために生きる』178頁参照 「惜しみなく奪う関係」をお読みください。
↑↑こらーーー、本を買ってない人にはわからんじゃないかっ。
へい、出し惜しみしないShiozyです。
「惜しみなく奪う関係」はこちらです。
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『妻のために生きる』好評発売中!!書店販売は広島県・山口県東部限定です。
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